あとになって分かること

2017年05月12日
本質が見えるのって、いつもちょっと時間のズレがあるような。

1つ前の恋愛が終わった本当の理由とか
あのときの親の悲しそうな顔とか
全然うまくなれなかった部活のバスケの謎とか
気持ち悪くなるぐらい迷って出した、あの日の選択の先にあったものとか



あとになれば見えてくることって、本当に多いなぁと感じます。
皮肉なほど。



「その時分かっていれば」なんていうのは、そうならない前提があるから言えることだし
今が「あと」か「いま」かなんていうのも、「あと」にならないと分からなくて。







結婚式の話をしていると、
「あとになって」がうっすら見えるような気になるときがあります。



例えば、結婚10周年とか。



頑張ってこだわり続けて良かったこと
「こだわる」ことにこだわった、1人(2人)よがりだったこと
お金をかけ過ぎたこと
もっとお金をかける価値があった部分
気付けなかった心
ワガママとこだわりの境界線



ウェディングプランナーという立場として
どうか結婚式においては「若気の至り」なんて納得の仕方は存在して欲しくないと願っています。



日々のふとした瞬間、ほんの片隅でいいんだけど
「私たちの結婚式は最高だった」と、誇らしくて有難くて愛おしい
じわっと染み出る感情が、ずっと2人の成功体験の1つとしてあり続けて欲しいのです。




それが、私の役目かなーーと思ったり、なんてお節介な仕事なんだろうと思ったり。