文字通り「夢中」で遊んだ夏休みが終わりました。やけに幸せだったので、なのに記憶の儚さに勝てないこともあるからブログに残しておこう。8/19〜8/22の3泊4日で広島へ行って来ました。実家の両親も一緒に、広島からさらに行った島に住む妹に会いに。

サンセットビーチから始まって、うさぎ島、宮島、原爆ドームと、ずいぶん欲張ったスケジュール。暑さも相まって終始汗だくだったのは言うまでもありませんが、ふわふわと余韻に浸るほど楽しい旅でした。「楽しさ」の質がずいぶん変わったなと気づき始めたのは、もう何年前だろう。完全に「主語」が変わりました。「私が」から「親が」「子どもが」「誰かが」に。その主語がきっと、守りたいものなんだとも思っています。みんなで。
波の音を聴けば「これ、ばぁばが泣いてまうやつやん」と言う子ども(母はとても涙もろい)。「あぁ、今がいちばん幸せ」と涙ぐむ母(手には、朝食のパンとコーヒー。今!?のタイミング)。義理の両親との旅行という、人によっては全然楽しめないかもしれないメンバーでの旅行を(毎回)誰よりも楽しんでいる(特に父の良き相棒のようになってくれる)ダンナさん。






原爆ドームには、初めて行きました。言葉にならなくて、目を背けたくて、でも行けて良かった場所です。子どもたちはひたすら怖がって目をつぶって歩いていたけど、それで良いと思いました。それがとても「怖いこと」だと感じた衝撃だけで十分だと思いました。下のえーたは、母(おばあちゃん)に抱えられるようにして出口まで一直線だったけど「これ、どこで起きたことなの?」と。このままずっと、永遠に起きないで。
ボランティアの方に平和公園を案内してもらったとき、わたしたちの顔ぶれを見て「今日はリキトくん(12歳)に向けて話をするね」と言って、分かりやすい言葉で一生懸命話をしてくれました。「命を大切にね。大切にするんだよ」と、行く場所行く場所で真っ直ぐに目を見て話してくれて、それにうなずくリキトを見て泣けてきました。帰った翌日「じぃじとばぁばに手紙を書いたら?」と言ったら、楽しかった色々と「戦争は絶対にダメやし、命は大切にしようと思ったよ」と書いていて、あのボランティアの弘子さんにまた感謝しました。(すごく暑い中1時間も外で案内してくれて、せめてお茶でもとペットボトルを渡そうとしたけど、ボランティアだから受け取っちゃダメってルールなのかな。首がちぎれるほどブンブン頷きながら話を聞いたのが、せめてものお礼)
愛しい「何か」はいつも単体じゃない。って想いは、日に日に。表に見えている何倍もの「何か」を心に留めて感じ取れる感性を大切にしたいし、言葉にしていきたいです。そしてせめて、家族はもちろん、わたしを必要としてくれる人たちを何らかのカタチで守れる自分になりたいなと思っています。
「夏休み、いただきます!」の連絡に「ゆっくりして来てください♡」「楽しんで来てください!」と送り出してくれたお客様。そのおかげで、楽しむことに集中できました。ありがとうございます!もうすっかり日常に戻って、打合せファイルを前にメールしたり電話したり、遠い目でふたりを考えたりしています。少しの間仕事から離れたら、早く会いたいなぁと思う人がたくさんいて嬉しいです。
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