人生に起きる「嫌なこと」がいっぺんに起きたら、あとは「ハッピーなこと」しか残ってないんだから、なんなら一気に先にまとめてドンと嫌なことが起き尽くしてくれないかなと、昔ぼんやり考えたことがあります。(その間、ずっと寝てたらやり過ごせるんじゃない?)
それから私はずいぶん生きてきて、たったひとつの「嫌なこと」ですら、心臓に穴が空くような痛みを伴うことを知ったし、喉の奥が締め付けられて呼吸も出来なくなる苦しみを感じることを覚えました。私たちは人生を全うするために「嫌なこと」と「ハッピーなこと」を、うまくコントロールされて与えられてる。「誰に」かは知らないけど、きっと、そうなってるんだなぁと、今は思います。
たとえば理不尽な「マイナス」に直面したとき、その理由や(あったかもしれない)回避策を想像してとても苦しむけど、起きてしまったことは消えなくて、消えないからもっと苦しんで、今手にしているハッピーや、これから先の可能性を力無くモノクロにしてしまいそうになります。自分の無力さを恨んだりもします。そういう経験が、誰の人生にもあるという絶望に呆然として、人生って何だろうとか、幸せって何だろうとか考えてグルグルします。グルグルグルグル。
わたしは「幸せの定義」を「自分でじぶんの人生を気に入っているかどうか」だと思っています。比較することもされることも多い日々の中で、そんな(どうでもいい)ことをスパッと切り捨てて、ただひたすら「私の人生、いいね」とニヤリと出来たら、それは誰が何と言おうと。そうだよね。
そして、見えない未来に不安を感じた時は「必要な時に、必要なだけ、必要なものは手に出来る」と疑わないこと。さらに「その時の自分が何とかしてくれる」と自分を信じること。今すべきことを、責任を持って、そして大切な人を大切にしながら進めていれば、スルッと「愛する未来」が待っていてくれるんじゃないかなとも思っています。きっと、そう。そうに違いない。、、、そうであれ!笑

昨日は大好きな家族と美味しいご飯を食べました。来月、結婚10周年を迎える大好きな夫婦は、10年前一緒に結婚式をつくった新郎新婦で、隣には「生ハムとチーズ」という組み合わせに目覚めた3歳のラブリーちゃんがいて、それぞれの立場での悩みや迷いや愛情を「うん、うん」って頷き合う時間。私たちの人生、すごくいい。だからこれからも大丈夫。きっと、もっと楽しくなるね。って思った夜でした。楽しかった!

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